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「あるがままに」を読み終えて

あるがままに―ラマナ・マハルシの教え あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
デーヴィッド ゴッドマン、 他 (2005/12)
ナチュラルスピリット
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ようやくこの本を読みましたが、ちょっとクリアでなかったところがクリアになったり、やっぱりそうだったのか!と自分の体験を確認したりしたので、気合を入れて読んだかいがありました。

以前書いた私の“真我体験”はやっぱりサマディーでした。
イーライに言われた時はいまいち信用してなかったけど、本の中で「サマディーに入る時には恐怖と身体の震えが起こる」とあったので、それはまさしく私の体験! 
「ニルヴィカルパはあたかも洪水のように突然訪れる」等の記述を目にした時は、「そうそう!それそれ!」と言った感じでした。

さりとて当然ながらサハジャ・サマディーではないので、いつでも自我に戻ってきます。(まだまだいたらんMaxiです

「心は想念の束だ。」というのも、経験上非常に納得も得心もできます。あの時、想念の本質を見極められたのは本当に重要なことでした。それゆえ「過去は存在しない」というのも、「輪廻転生はない」とかも理解出来ます。

ハートに関しても、ラマナが力説したのは俗に言う「ハートチャクラ」ではなく、本来の意味の「中心」を意味し、真我そのものであるということ。
右胸の場所を指すこともあるが、それに集中するべきではないとはっきり書いてあったので、納得しました。

この点を誤解していて、ラマナがどうして身体の一点に集中するように言うのかが分からなかった。それだとラマナが否定している「一転集中法」になるのではないかと思っていたので。

真我の探求も沈黙のなかで感じるのが一番だけど、それだと分からない人のために「私は誰か?」の探求方法を教えたとあり、パパジは沈黙の教えで目覚めた人だと分かり、パパジの教えもよく理解出来ます。

ガンガジもその流れなので、私はそのシンプルなところが気に入ってます。

私はどうも瞑想法がダメですね。「私は誰か?」をやると、それをする「私」がいて、どうもいかん。

それより、“全てを止めて、今ある真我を見つめる(ゆだねる)”ほうが自我の意識が起こらないのでいい感じです。また、それがガンガジに習ったことだし。

ラマナも「全ての想念を止めて真我を見つめる」と言ってるので、私はそれで行く
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コメント

No title

なかなか読み進められなかった様ですが、
ついに、読み終えたんですね。
実際に、体験した後に読むと、
全然違うのでしょうねー。

ラマナの言葉がしっくりと身に染みて
感じられるのだろうなぁと思います。

私もいずれそのような境地で
再びラマナの言葉を噛み締められる日を
楽しみに私のプロセスを歩いて行きたいと思います。


shioさん

別に新しいことを知ったわけではないので、読む必要はなかったです。

今は本を読むより、今ここにある真我をみつめるようにしむけられているみたいです。
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