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親鸞さんに学ぶ

お友達でお坊さんの英月さんのブログにあった親鸞さんのお話し。
抜粋すると、

親鸞さんが生きていたころ。
じゃぽんはすっごい天災に見舞われていた。

○ 養和2年(1182年)
親鸞さんが9歳の時。
養和の大飢饉。

鴨長明の書いた「方丈記」によると、養和2年の4月から5カ月のたった2か月の間に、洛中だけで、4万2千3百名の死者。


○ 健保2年(1214年)
親鸞さんが42歳の時。
関東を中心にひでりが襲う。


○ 寛喜2年(1230年)
親鸞さんが58歳の時。
旧暦の6月(新暦の6月下旬~8月上旬)に、武蔵国(現在の東京、埼玉、神奈川)、で降雪が観測される異常気象。
全国的な長雨による冷夏。
台風の襲来が続き、農作物の収穫に壊滅的な打撃を受ける。


○ 翌、寛喜3年(1231年)
親鸞さんが59歳の時。
鎌倉時代を通じて、最大規模の飢饉。
藤原定家の日記「明月記」には、洛中に死骸があふれ、その死臭は、家の中まで漂ってきたと言う。

そんな怒涛の天災+源平の戦い。

そんな中…。
親鸞さんは2回、あるコトをしている。

健保2年と、寛喜3年。
共に、天災で、じゃぽんが、めちゃくちゃになった時。

親鸞さんは、お経を称えた。
休むことなく、称え続けた。

そして、数日後…。

止めた。

自分の「お経を称える」と言う行為によって、みんなを救おうと思う心。
それは、自分の力でなんとかなる!と言う、自分の力に対するこだわり。
またそれは、みんなを救う側に立とうとする自分の心の表れ。

親鸞におきては、ただ念仏して
弥陀にたすけられまいらすべしと
よきひとのおおせをかぶりて
信ずるほかに別の仔細なきなり。

「歎異抄」第2章


ヒーリングしたりする時に、「治そう」と思うと、それがこの驕りに繋がっているので、よくよく心しないといけないなと、反省しております。

親鸞さんはえらい

PS:今月は写経の会をお休みし、みんなでカラオケしてたことを親鸞さんにお詫びせねば
まぁ、私が幹事をしてるから仕方がないけど。

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