スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

神を思う

Mt Shasta 180

最近は今まで中途半端におざなりにしてきた“自分”と向き合うべく、身体のほうに意識がいってるので、このブログに書くようなことはあんまりですね。だからこのブログも放置状態。
ということで、今日のお話。

この間友達と話していた時、ハートや愛に意識を置いてそれを基に行動すると言っていたのを聞いて、ちょっと思ったのは、私の場合ハートや愛より、プロフィールに書いた「神を思う」と言うのが一番しっくりくる。

以前も書いたかもしれませんが、この感覚は私の根幹をなすもので、真我体験とは関係なしに、ずっと前からあったもので、言葉にするとこんな感じ。

「私」から名前、肉体、意識、過去等々全てを取り去った後に残るのはこれだと思う。そんな感じ。
それを意識するとかしないとかの問題でもない。
ただそれは不変にあるだけ。

それをもうちょっと意識してやればいいのかな?とも思ったりしましたが、人それぞれスピリチュアルな課題が違うから、その友達が意識しないと出来ないことが、私にとっては当たり前のことで、その友達にとって当たり前のことが、私には課題であったりします。

人との出会いは大切にしたいなと思う今日この頃。




スポンサーサイト
コメント

No title

すべてを取り去った後に残るのが普遍の魂・・・か。

michaelaさん

人それぞれでしょうが、私はこんな感じ。v-290
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。