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クォンタム・リヴィングの秘密―純粋な気づきから生きる

クォンタム・リヴィングの秘密―純粋な気づきから生きるクォンタム・リヴィングの秘密―純粋な気づきから生きる
(2014/02/08)
フランク・キンズロー

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セミナーの上級コースの内容がこれ。
これまでの本よりももっと“無”とか真我的な“自己”についての話がパートⅠにあり、パートⅡは色んな練習方法が載ってます。
お勧めします。



ワークショップから一ヶ月以上経ってしまって、何をいまさらッて感じですけど、やっぱり行ってよかった
最初の本が基本コース、ユーフィーリングの本の内容をユーフィーリングのコースでするので、新しい情報とかはないけど、セミナーだと参加者とペアになって練習出来るのがいいです。
もちろんDr.Kinslowの話や、説明を聞けるのが何より良かったです。

まずはDr.Kinslowの話から。
本にも載ってますけど、彼は70年代から80年台くらいに流行った超越瞑想(TM)をずっとやっていてインストラクターにもなり、山にこもって瞑想三昧の生活をしたりしたから、神、天使、アセンデッド・マスター等々とコンタクトしたりしてたそう。しかし、60歳になってもお金で苦労したりしてたので、一切のスピリチュアルテクニックをするのを止めた。
そしたら、目覚めてしまったと。
*そして自分の体験したことを人々に伝えるためにQEを思いついたそうです。

これって、ほとんどアドヴァイタ的なプロセスですよね。
ラマナというより、パパジの「ストップ!」を地で行ってる感じ。
どうりで私が惹かれるわけだ。そういう匂いがプンプンしてたし。

QEのセミナーの前にMEのセミナーに行ったけど、大きな違いは、MEはあくまでも現実をシフトさせるテクニック。
QEは現実をあるがままに受け入れ何もしない。結果的に何かが変化してもそれが目的ではない。
人それぞれ受け取り方は違うでしょうけど、私的にはざっくり言うとこんな感じですかね。

だから色んな練習を通して、ユーフィーリングを感じ、無・空のレベルまで意識を持っていくのが真の目的のようでした。

ワークショップでDr.KinslowがQEを説明する時に使っていた図(ユーフィーリングの本のP89に載ってます)がとても良かった
純粋な気づきは形のない世界で、線の上が形のある世界。
ユーフィーリングは丸い形でその上半分が形のある世界で、下半分が形のない世界。純粋な気づきはマインドでは理解できない世界だけど、ユーフィーリングというコンセプトでは、マインドも認知できる形のある世界に半分があるので、マインドを満足させることが出来る。そして、それを意識すると自然に下半分の形のない世界へと誘われる。
これってすごくない

体験談として、鬱でどうしようもなかった人が真我体験みたいなとこまで行ってしまって、鬱の原因の記憶さえも無くなってしまったとか。
また、去年のセミナー参加者の男性二人は当時怒りのエネルギーが激しく、近寄れなかったけど、今回会ったらまるで別人のように穏やかになっていたそうです。

一つ一つトラウマ的な問題や感情をリリースする方法もあるけど、QEはアイデンティティがシフトするようなので、諸問題の元から断つ!ような効果があるようです。

セミナーの中で一番気に入った練習はスペースウォーキング(新しい本のP167、「空間ウォーキング」)。これはおもしろい
*この前にマインドフルネス的な、歩きながら手足、物等々を感じながら、ユーフィーリングを感じる練習もしました。
これをやってると意識が広がるところがとてもいい
物じゃなくて、何もない“空間”を意識して、そこにあるユーフィーリングに気づくというのが、素晴らしい
*サイトや最初の本についてくるCDにあるゲートテクニックにちょっと似てる。

今回のセミナーでユーフィーリングをSelfというか、プレゼンス的な感じで強調していました。
ユーフィーリングを意識レベルのように意識して深くするようなものではなく、そこら中にある。
あくまでも常に“そこ”にあるユーフィーリングに気づくだけ。気づいたら、手放す(テクニックではない!)単なる気づき。気づきというのがとても大事。
ユーフィーリングに意識を向け、1,2秒経ったら、手放す

だからスペースウォーキングでも、“意識が広がる”ような感じもあるけど、実際はもっと深くて、広がるというより、“全てに真我を観る”練習と言ったほうがいいかもしれません。
広がったり縮んだり、深くなったり浅くなったりする通常の瞑想的な意識ではなく、ワンネス的な普遍の意識。
それを目を開けてやるところがすっばらしい
*目を閉じて瞑想しないと行けない世界だと意味が無い。条件付けされたイリュージョンの世界。今ここ

気づきが広がっていくと、自分の波長に合ったものが、見える、同調する、実現する。
Desire(願望)もユーフィーリングの中に溶け去っていく。そしたら、願望が実現化する。


また新しいプロセスを思いついたそうで、フロリダのセミナーで試してみたらとても効果があったそうです。
より一層、Stillness(静寂)の意識まで行きやすくなるとか。
これを10月のセミナーでやるそうなので、ちょっと楽しみ。また行きます

QEはアドヴァイタ系の本を読んだりしてる人には、すっごくお勧め
頭でじゃなくて、体験を通して理解できるかも

またセドナメソッドで行き詰まってる人にもお勧めします。
リアルに「手放しってどういうことか」が体験出来ます。ここ数年ヘイル・ドゥオスキンがやっているリリースの世界はこれだと思う。

それとMEのツーポイントがうまく出来ない人にもお勧め。
「ハートに意識を持って行って手放し」のプロセスに役に立ちます。

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神の対象化の中止

シリウス・マハナンダさんがラマナ・マハルシの臨在のサイトで、パパジの「真理のみ」を翻訳したものを公開されています。
1998年に自費出版されたものを、崎山綾子さんが再度構成・翻訳されており、随時更新されています。
詳しくは下記のリンクをご覧ください。
http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/truthis-holder/sinrinomi-map.htm

今回紹介したのはその一部です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なぜ神を対象化するのか?
「それ」を主体化しなさい。
光に向かって真っ直ぐに進みなさい。「それ」の中にまっ先に飛び込むのだ。
旅の途中でそれについて記事を書いたりしないことだ。
静かにして、疑いをもて遊ばないこと、欲望を起こさないこと。
すべての対象を取り除き、「それ」として滞まりなさい。
すべての苦痛は対象化することからやって来る。
エゴに自由を所有させないこと。
だから、真理を対象化しないこと。
それを獲得とか取得と呼ばないこと。
ただそれと一つになりなさい。
顔を鏡で見るとき起こるようにそれにただ合一化しなさい。
マインドと呼ばれる訪問者を忘れて、ただ「それ」と一体になりなさい。



あなたでないものだけを経験することができる。
一時的なものだけが経験される、
なぜなら、経験者そのものが一時的な存在だからだ。
経験、名前、そして形態の概念を捨てなさい。
名前や形態に触れないで、ただ見ていなさい。
「私」と口走ると、すべての対象があらわれる。
「私」を見つめるとすべてが消え去る。
「私」に「私」を見つけさせなさい。
真我探求は最初に「私」、経験者を対象化し
「私」を対象化した「主体」を見つめることだ。
主体を対象化する更なる「主体」は誰かと自問しなさい。
この「主体」が「見ている人」だ。



私のマスター、ラマナ・マハルシは私に言った、
「神は見られる対象ではない。神は主体だ。
神を見ることはできない。神は『見ている人』だ。
この『見ている人』を見つけなさい。」
その時、私のハートは開いた。
「『見ている人』を見つけなさい。」
これが教訓である。



真我は主体よりも以前に存在する。
それ故、誰が何に集中するのか?
主体の「私」は夢を見ているに違いない、
夢を真実だと受け入れないことだ。
一瞬、一つの思考でさえ起こさずにいることで目覚めなさい。
一つの思考でさえ「それ」を汚してしまうほど
「それ」は潔癖だ。



心の習癖は対象化すること、二元性を投影することだ。
自問で心の動きを支配しなさい。
私は「ここ」にいると悟りなさい、
これが心の動きを止める。



心が静かになればすべてが真我だ。
心が動くと世界が現われる。
だから静かにしてすべてを投げ捨てて自由になりなさい。
そのとき心は潔癖で、あらゆる存在に真我を見るだろう。
肉体の目で見ることをやめると聖なる目が開く。



心を静めるためには「私」の源泉を尋ねなさい。
来ることもないし、去ることもない「それ」を見つけだして 
「それ」として在りなさい。
心が動くのは何かに執着しているときだけだ。
だから心にとって親密なものを避けなさい。
執着を引き離して、静寂を保つことで
気づきー在ることー幸福に戻ると決心しなさい。
心が存在に触れると存在になる。
自由の観念が束縛の観念を取り除く。
その時、古い習癖の観念に呼び戻されないように全力を尽くしなさい。
そして「自由」そのものに溶け込みなさい。



考えることが世界を創り出す。
思考と思考のギャップが「今」、これが「自由」だ。
考えないということは心を活動させないということだ。
考えないこと、思考からの自由が「自由」だ。
思考がやってくるなら、こさせなさい。
思考が行くなら行かせなさい。
自由という観念がないことが「自由」だ。
自由への意図がないのが「自由」だ。
本当の真我探求は考えることで心を活動させることではない。
考えたいのなら真我のことだけ考えなさい。
これが最良の修練だ。
これは海として留まって波を起こさせるようなものだ。
目覚めの状態の最初と最後の思考は「私は誰か」であらねばならない。
単に静かにしていて何が起こるか見てごらん。
この見ていることが在ることだ。



心を使わねばならないとき、心は眠りに陥る。
これを避けなさい、眠りは罠だ。
あなたが深く海にもぐって探している真珠に、努力せず意識を集中し続けなさい。



理解することは、対象化することだ。
理解を捨て去ることによって真我を顕にしなさい。
すべての質問や答えはエゴからやって来るのだから
努力することや理解することによってその源泉を見つけることはできない。
エゴがどこからやって来るのか見つけなさい。
そうするとそれは消え去るだろう。
エゴは破壊されねばならない。
考えることをスットプしなければならない。
今、それをやりなさい、
説明できない「それ」を、理解、視覚、触覚を超えた「それ」を切望しなさい、
「私は存在しない」という観念を投げ捨ててそれをやりなさい。
観念という観念も取り除きなさい。 
知識の最終目的地は言葉も含めてすべての知識を忘れることだ。
書物を持ち歩くのは、ロバがスートラを持ち運ぶようなものだ。
多くの聖者は文盲だ。
絵の中の炎が茶を湧かすことができないように知的な理解は十分ではない。
知的な理解はメニューを読んでいるようなもので
本当に体験することは、食べ物を食べることだ。
理解のすべては「それ」の美味に比べたら、ひからびた残り物だ。



存在-意識-至福。
エゴ-マインド-知性がこの言葉を聞く。
それらに邪魔をさせないことだ、あなたが聞いたことを分析しないことだ。
無について考えることは、無から抜け出すことだ。
自由について話すのは牢獄者だけ、
いつも自由でいる人は自由については語らない。
話される自由はそれから自由になる為の束縛が必要だ。
あなたの自身の真我を探求して自由になりなさい。



この自由は言葉では言い表すことができない。
最良の表現は 真我の至福に酔っぱらった
その人の目の中に、歩き方の中に現われている。

スピ系の人は欲が深い・・・


あなたは
金を欲しがる。
あるいは
瞑想を欲しがる。
欲望は同じだ。
ただ対象が
変わっただけのことだ。
が、
対象が問題なのではない。
問題は欲望そのものに、
欲しがることにある。

ある者は、
この世で
長生きしたがる。
この世で
美しい容姿を欲しがる。
成功や評判や名声を欲しがる。
またある者は、
楽園で神と共にある
永遠の生命を欲しがる。
そこにどんな違いがある?

違いというのは、
前者のほうが
後者ほど
欲ばりではないと
いうことだ。
後者のほうが
ずっと貪欲だ。

だからこそ、
あなたがたのいわゆる
スピリチャルな人たちというのは
ひじょうに欲が深い。

インドが
とても貪欲なのは
ただの偶然ではない。
インドがとても
精神的だからだ。
その精神性が
新たな欲望を生みだす。

実際、
いあゆる聖人と称される人たちは
人々にこう教えつづけている。
「この世のものを
 欲しがってはならない。
 なぜなら、
 それはつかの間のものだからだ。
 あの世のものを願うがいい。
 なぜなら、
 それは永遠だからだ。」

これを”放棄”と呼ぶかね?
これが放棄かね?
これはさらに貪欲になることだ。
これは永遠の報酬を求めることだ。

世俗的な人は単純だ。
彼らはつかの間の欲望で
満足している。

ところが、
あの世的な人々は
ほんとうに欲が深いようだ。
彼らはこの世で満足しない。
彼らには快楽が永遠に続き、
美貌がけっして衰えず、
いつも若いままでいられ、
生きても生きても
絶対に年をとらない
別の世界が必要だ。

これは強欲だ!
あの世に移された
まぎれもない強欲だ!
最初の者たちより
もっと欲が深い。

この
”精神の物質主義”と
称されるものを避けなさい。
それは
まったく物質主義的だ。
それは
あなたの生を変えない。
それには
変えることができない。
それはあなたの
古いマインドを太らせるだけだ。
それは
あなたをもっと駄目にする。

・・・
ものを捨てるのではなく、
自分の自己を捨てなさい。
そうすれば、
ものは自然に離れてゆく。

私が存在しなければ、
いかに家を所有できよう?
私が存在しなければ、
いかに子どもを所有できよう?
私が存在しなければ、
所有することは不可能だ。
所有するものは誰もいない。
その違いを見なさい。

Osho - Take It Easy

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そうそう。OSHOの言うとおり スピ系の人は我が強い人が多い
私もその一人ですけど。

Life is beautiful!

日本へ行ってQEのワークショップに出てきました。
いや〜行ってよかった
あれはおもしろいわ。 10月にまた新しいワークショップをするそうなので、それには絶対行く
*QEについてはまた今度。

しかし、なんと言ってもここ最近一番インパクトがあったのは、私が敬愛するDr.Fabricのセッション。

QEの前にMEのセミナーに出てまして、まっ、MEはそれなりでしたが、以前何度かグループセッションをしてくれたDr.Fabric(おじいさんですけど、昔はたぶんヒッピー。インドに何度も行き、グルはインド人。精神科医でMEのプラクティショナー)が来られていたので友だちを紹介したら、プチセッションをしてくれました。

よく神だとか宇宙とかいう人は多いけど、この人のアクセスする聖なる波動はすごいです。
いったんこの人がセッションを始めると、そこがまるで聖なる神殿のようになります。
横で見ているだけでしたけど、Lifeというかピュァーなエッセンスの顕れである“私”というのを体験してしまって、その後すごかったです。

彼がアクセスするDivinity、森羅万象を作り出すLifeというか、Pure essenceを私もガッツリ体験したので、歓喜に満ち溢れ、“Life”に圧倒され、一人叫んでました。

Lifeっていうのは、すごい
Life is beautiful

これでちょっと変わりましたね。
今までは日本へ行ったら神社仏閣にお参りするのが常でしたが、それが無くなってしまった。
浅草寺のすぐ近くでランチしたけどお参りはせず、最近毎年行ってる高野山も近くの温泉に泊まったにも拘わらず、行きませんでした。
私的にはこれ結構大きいです。

Dr.Fabricに出会えたご縁に感謝、感謝です。
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