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お友達のブログから

2006年以前の写真 060

最近は色々思うと言うか、感じるところもあって、それを書いてもいいんだけど、私の下手な言葉より、お友達のブログにあった聖者の言葉のほうがいいかなと。

すごく心に響くというか、今の私の心情を表しているような感じです。


シロさんがブログで紹介されているダンテス・ダイジの御言葉。


 神秘学とか、 霊的何とか、 っていうのは全部ままごとさ。
この世界に於いても同じだよ。
又、究極的世界の於いても同じだよ。
映画を見たり、
何か気をまぎらわしたりするのとどこが違う。

人は、 いろいろな刺激によって生きている。 外部からの刺激によって。
自分の中から起こったことさえ外部からのものだ。
そして、 それによって生きている。
それを拠り処にしているんだ。

平常のそのままでいいんだ。
いいんだよ!
平常の、 そのまま、 で。

どうして何かになろう、 なんて考える。
そんなものマスコミにのせられているだけだ。
一人一人が又とない生命(いのち)だ。
平常そのままでいいんだ。
とても恐ろしい。
何故なら、 人は、 いつでも自分が空虚だ、 と意識し--------------
あるいは意識しなくても-------------感じている。

(ダンテス・ダイジ)


*ダンテス・ダイジをもっと知りたい人は、シロさんのブログへどうぞ



mercy.さんのブログにあった、慧能の「無一物」


菩提本無樹    菩提本(もと)より樹(じゅ)無し

明鏡亦非台    明鏡も亦た台に非(あら)ず

本来無一物    本来無一物(ほんらいむいちもつ)

何処有塵埃    何れの処にか塵埃(じんあい)有らん

                      <慧能>


*mercy.さんのブログはこちらから
mercy.さんの「無一物」の解説は読まれたほうがいいと思います。



おまけに、私の下手な言葉

『何をするとかしないとか、何かがあるとないとか、全ての思いや感情とは一切かかわらないところに、また、どんな状況であろうと、常にある。』

最近はこんな感じなんで、いちいち思いを起こしてジャッジして、コメントしたりするのがあほらしいというか、全然ブログをする気がないです。
そういう「思い」に思いを重ねる行為はウソ臭い感じ。
たとえそれが「真我」に関することであれ、全て一緒。同じ「思い」の世界。

怒りや恐怖やそういうものを受け入れるとかっていうのも同じ。
そういう事をやろうとする「自分」がただただおかしくて、笑ってしまう

目覚めた人も目覚めてない人も同じ。
真我と一体になり「悟った!」と思うのも、またその体験さえも同じこと。

そういう一切のこととは関係のないところにある。常に。



*最後にいちびって、こういうのを書くところが、私らしくていいじゃないか
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